川の魚たちは今

10.渓流の女王……ヤマメ

1993年(平成5年)8月13日
 緑一色の夏の渓谷にセミの鳴き声が響きわたります。草むらには真っ白な山ユリが強い芳香を漂わせています。
 この季節、多くの人が涼を求めて訪れる山奥の谷川にはヤマメというマスの仲間が住んでいます。ヤマメは日本の代表的な渓流魚で、美しい姿態と味の良さから「渓流の女王」と呼ばれています。
 このヤマメも、高度経済成長期以降の自然破壊によって極端に減少してしまいました。それこそ一時は「幻の魚」とまで呼ばれるようになってしまったのです。
 しかし幸か不幸か、ヤマメは幻の魚にはならず、現在はスーパーマーケットでも時々姿を見かけるようになりました。これはもちろん養殖技術の進歩によるものです。
 さて、皆さんが川のマス類ですぐに思い浮かべるのはニジマスではないかと思います。マスの塩焼きや釣り堀などで我々になじみの深いニジマスですが、もとから日本にいた魚ではありません。本来は北アメリカなどに住み、わが国には明治十年に移殖されました。
ヤマメ写真
小判型斑点の鮮やかなヤマメ
 これに対して、ヤマメは日本在来の魚です。このヤマメ、ニジマスに比べて野生味が強く人に慣れにくいため、長い間養殖することができませんでした。 「幻の魚ヤマメを何とかして増やそう」と全国の水産研究所がこの難題に取り組みましたが、最初に成功したのが我が東京都水産試験場奥多摩分場でした。
 試験場では昭和二十年代の末頃からヤマメの天然魚を集め、養殖試験を始めました。ベテラン職員の方にその頃の話を伺うと、最初のうちはやっとの思いで川から釣ってきた親魚が人になつかず、食事を拒否して死んでしまったそうです。あるいは(何とか育てたものの、うまく卵を産まなかったりと苦労の連続だったといいます。
 しかし十数年にわたる研究の末、「完全養殖」に成功しました。つまり、天然魚からとった卵をふ化し、これを親に育てて、再び産卵させることができたのです。
 こうした養殖技術の進歩によって、ヤマメはかつてのニジマス同様、必要な時に必要な数を供給できるようになりました。しかし、私たちは養殖の成功によってヤマメの研究が終わったとは思いません。
 確かに川にヤマメを放流すればこれを釣ることができます。でも、本来ヤマメのすめる川というのは、そこでヤマメが産卵し、天然の餌を食べて成長のできる川なのです。
 今、渓谷沿いに道路が建設されたとします。山腹を削った土砂は谷に落とされ、ヤマメの大切なすみかである深い測を埋めてしまいます。また、ヤマメの餌となる川虫は底石のすき間で暮らしていますが、その生息空間も奪われてしまいます。さらには、谷に流れ込んだ細かい泥がヤマメの産卵する砂利のすき間をふさいでしまいます。こうなると、せっかく産卵された卵も、砂利の間の水通しが悪くなり窒息してしまいます。こうして住みか、食糧、産卵場を失ったヤマメにどうやって暮らしていけというのでしょう。
 また、このように一方で川の自然を破壊しておいて、「ヤマメがいなくなったのなら人工養殖魚を放してやればいいじゃないか」というのでは、何とも寂しい話ではありませんか。
 残念ながら、野性ヤマメの生態はまだよくわかっていません。何歳でどのくらい大きくなり、幾つくらいの卵を産んで、子供はどのくらい生き残るのか。今後はこうした地道な研究を進め、ヤマメを増やしていかねばなりません。

渓谷写真

ヤマメのすむ渓谷

back

もどる