川の魚たちは今

12.ケモノのような暮らし……イワナ

1993年(平成5年)8月27日
 焼けつく日差しの照りつける真夏の登山道。汗だくになって急坂を下りきり、渓谷に降り立った瞬間、吹き抜ける一陣の涼風にホッと一息をつく……。そんな経験をお持ちの方もいらっしゃることでしょう。真夏でも冷気の漂う深山の幽谷、そこがイワナのすみかです。
 日本の川には普通、最上流にイワナ、その下流にヤマメという二種類のマスが生息しています。水温でいうとイワナは夏の最高値が一五度を超えない場所に、 一方ヤマメは二〇度をあまり上回らない流れに住んでいます。多摩川におけるこの両者の分布をみると、ヤマメが標高約三百メートルより上流に姿を現し、イワナは六百メートル付近から上流で多くなります。そして両者はしばし混棲しますが、標高千メートルあたりからはイワナばかりとなります。
 かつて私はイワナがどのくらい上流まですんでいるのか調べたことがあります。この調査では、地下タビにワラジばきといういでたちで沢を登っていきます。源流部では川幅もほんのひと跨ぎほどなので、径が三十センチくらいの手網を使ってイワナを捕らえます。イワナ(岩魚)はその名のとおり岩の下に隠れていますから、魚のいそうな者の脇に網を構え、棒で岩の下をつついて魚を追い出すのです。
イワナ写真
イワナ
 ある日のこと、いよいよ水量がすくなくなり、イワナも捕れなくなりました。そろそろ限界かなと考えながら岩の下をつつくと、網の中に黒いものが飛び込みました。 「おや、まだいたのか」とよく見ると、それは手足の生えたサンショウウオでした。イワナが姿を消したさらにその上流はサンショウウオのすみかです。
 また別のある日、水深二十センチほどの小さな淵でいつものように魚を追い出すと、四十センチもある細長いものがニョロッと網の中に入り、「へびだ」と飛び上がったことがあります。しかしよく見るとこれもイワナでした。あとで顕微鏡でウロコを調べると、六〜七年も生きた古強者でした。このイワナ、餌が少なく住み場も狭い源流部では太ることができず、身長ばかりが伸びてしまったのでしょう。こうして、幾つもの谷を調べた結果、東京の川ではイワナの生息上限は標高千五百席付近にあることがわかったのです。
 イワナは植物性の餌は食べず、専ら小動物を捕らえます。しかし、原流部には川虫はあまり多くありません。私が胃の内容物を調べた時に出てきたのは、ハチ、コガネムシ、ミミズ、ムカデなど陸上に住む動物がほとんどでした。もちろん流れて来たものを食べたのでしょうが、何となく陸に上がって餌を探しているような気がして、 「イワナは魚というよりはケモノに近いのだな」と感心したことがあります。
 このようにイワナは山奥の魚ですが、近年の林道延長工事は彼らにとって致命的でした。周辺の森林の伐採と、川を埋めた土砂の影響は、ヤマメの場合と同様、イワナのすみ場、産卵場、餌料を奪ってしまいました。さらには、それまで半日がかりで歩かなければたどり着けなかったような山奥まで車で簡単に釣り人が入って来るようになりました。
 最近ではイワナも養殖技術が進み、放流が可能になりましたが、これはあくまで補助手段と考えるべきでしょう。これからは天然魚を大切に保護し、増やしていきたいものです。

源流部写真

イワナの生息する源流部

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