川の魚たちは今

14.江戸前のシンボル……マハゼ

1993年(平成5年)9月10日
 さわやかに晴れわたった秋の日。河口にほど近い川岸にはびっしりと釣り人が立ち並びます。老いも若きも、男も女も。アウトドアスタイルで決めたベテランもいれば、サンダルばきにエプロン姿のおかみさんもいます。隣の人と釣り糸が絡まるのも何のその、賑やかなハゼ釣り風景はまさに日本の川の秋祭りです。
 わが国には二百種類以上のハゼの仲間がいますが、釣り人のお目あてはもちろんマハゼです。天ぷらでもよし、甘露煮にしてよし、誰にでも手軽に釣れるこの魚は、昔からお江戸の庶民を楽しませてきました。
 しかし、このマハゼも、東京内湾の水質が最も悪くなった昭和四十年代には、一時期ほとんど釣れなくなってしまいました。その後排水の規制が進み、東京湾の水質も最悪の状態を脱します。この結果、現在湾内のマハゼは都民が釣りを楽しむのに十分な数が生息しています。水産試験場の調査でも、この数年マハゼ稚魚の採取数はかなり増えています。とはいえ、かつてごく普通にみられたアオギスやハマグリなどの魚介類は依然として姿を消したままで、水質の改善にはさらに努力が必要です。
 マハゼの寿命は普通一年です。秋も深まる十一月頃になると、体長二十センチほどの親魚は浅場から水深十メートルほどの深場へと移動します。そして冬、砂泥底に長さ一メートル以上にもなるトンネル状の巣穴を掘り、この中に産卵したあと死んでいきます。
 粘り強い研究の末、試験場は昭和五十八年にマハゼの産卵生態を明らかにしました。これは世界に誇りうる業績の一つで、合成樹脂を注入して型どった巣穴の模型は、国立科学博物館にも展示され、内外の注目を集めています。
 春先、ふ化したマハゼ仔魚は巣穴を出、初めは泳ぎまわっていますが、やがて着低します。七月頃になると沿岸や河川の浅場で五〜六センチに育ったものが釣れだし、これがいゆる「デキハゼ」です。九月になると体長も十センチを超えて「彼岸ハゼ」となり、この釣りは最盛期を迎えます。このあと産卵のために深場に向かうのは先ほど述べたとおりで、このハゼを「ケタハゼ」と呼びます。
 今年も春先にたくさんのマハゼ稚魚が採集されましたが、これらが秋の釣リシーズンまで生き残ることができるかどうかは、ひとえに夏場の環境条件にかかっています。
 例えば、ハゼ稚魚の大量斃死をもたらす原因の一つに集中豪雨があります。集中豪雨による増水は川底にたまったヘドロなどの有機物を水中に巻き上げます。そして、これらの有機物は分解されて無機物になる過程で水中の酸素を大量に消費します。したがって、集中豪雨のあと、川や河回の生き物は酸素欠乏によってよく大量斃死を起こすのです。
 今後、ハゼを増やすためには、まず川や海の水をきれいにしなくてはなりません。また同時に、大雨が降っても川の水が一気に増えないような方策も必要です。そのためには、流域に木や草を繁らせ、さらに田畑や公園など、雨水の浸み込む「土」のスペースを確保していかねばなりません。コンクリートジャングルは、せっかくの恵みの雨をただ流し去るだけです。そして、このような「水をはぐくむ街づくり」によってはじめて、生命に満ちあふれる豊かな水辺の復活が可能になるのです。

マハゼ写真と巣穴の断面図

マハゼ(写真)とその巣穴の断面図

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