川の魚たちは今

1.神田川にアユ戻る(一)

1993年(平成5年)6月4日
 去る四月十六日、在京の全テレビ局と新聞各紙は「神田川にアユ戻る」のニュースを一斉に報じました。この日、私たち水産試験場の調査員は東京湾から遡上したアユの稚魚を一神田川で捕らえたのです。地元の方の話によれば、これは実に四十年ぶりの出来事ということでした。
  「ドブ川の代名詞のような神田川で、清流のシンボルであるアユが捕れた。それも東京湾から遡上した天然アユが…」ということで、マスコミの扱いはセンセーショナルなものになりました。
  お茶の水から浅草橋付近の神田川は、真っ黒な水が物憂げに流れる典型的な都市のドブ川です。その後、このニュースを聞きつけた都民の方々からは「本当にアユが上がったのですか。とても信じられません」という問い合わせの電話を何度もいただきました。
 確かに私たちも初めは信じられなかったのです。
 今回のアユ騒動、実は昨年の秋にすでに始まっていました。暑く長かった夏もやっと終わる気配を見せはじめた九月下旬、神田川で熱心に魚の観察を続けられているK氏から「アユらしい魚が見える」との連絡が入りました。
  「あんなドブ川にアユがいるはずがないじゃないですか。何か他の魚と見まちがえたのではないですか」というのが、正直なところ当初の私たちの反応でした。しかし、電話で状況をうかがっているうちに、 「とにかく行ってみようじゃないか」という同僚との相談もまとまり、何とか日程をやりくりして出かけたのは数日後のことでした。
 現場は新宿区の西早稲田。都電荒川線の駅名にもなっている面影橋から川をのぞいた私たちは、思わずうなってしまいました。流れは、私たちの予想に反して透きとおっていたからです。その日は前日の雨でかなり増水しており、残念ながら川岸からアユの姿を見つけることはできませんでした。しかし、両岸こそ切り立ったコンクリートの壁で囲まれているものの、川の水は澄んで川底の砂利を見通すことができました。
 「これはひょっとすると、ひょっとするぞ」と私たちは思わず顔を見合わせました。そして投網を打つこと十数回、約一時間後。「とれたぞ」という歓声が上がりました。
 わずか一尾でしたが、網の中には体長二十二センチもある立派なアユが入りました。神田川には本当にアユが泳いでいたのです。
 神田川の水が澄んでいる理由はすぐにわかりました。この上流には都下水道局の落合処理場があり、ここから放流される処理水は都内の処理場の中でも二番目にきれいな水であるということです。したがって、この処理場より下流わずか数キロの区間に、束の間の「清流」が復活していたのでした。

  さて、この連載を通じて、私は東京の川の魚たちが今どのような暮らしをしているのか、また、それは昔とどう変わってきたのかということを述べていきたいと思います。昭和三十年代に川で遊び、「古き良き時代」の川を知る最後の世代の人間として、それは後の人たちに書き残して おかなければならない私の責務だと考えるからです。
しかし、この記録を単なるノスタルジーに終わらせたくはありません。 「将来、川と人間とのかかわりあいはどうあるべきなのか」などということについても、折をみて触れていくつもりです。

神田川写真

写真・典型的な都市河川・神田川

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