川の魚たちは今

2.神田川にアユ戻る(ニ)

1993年(平成5年)6月11日
 昨年九月、神田川でたった一尾採集されたアユはどこから来たのでしょう。最も常識的なのは「放流魚」と考えることです。しかし、神田川は釣りのできるような川ではないので、放流は全く行われていません。考えられるのは荒川などの放流アユが隅田川を通って迷い込んで来たか、あるいは釣り人が他の川で釣ったものを放流することです。
 しかし、私たちが立てたのは「東京湾からの遡上アユである」という仮説でした。
 さて、この後の話を進める前に、ここでアユの生態について、少し説明しておきましょう。この魚は、日本の川釣り対象魚の中でも最も人気のある魚の一つで、 「清流の女王」などと呼ばれ、そのスマートな体形と鋭い引きは多くの釣り人を魅了してやみません。
秋になると、二十センチほどに育ったアユの親魚は川の浅瀬の砂利に産卵して一生を終えます。普通、アユの寿命は一年で、年魚ともいわれています。二〜三週間で卵からふ化した体長数ミリの稚魚は流れに乗って海へ下り、そこでプランクトンなどを食べて冬を過ごします。翌春、川の水温の上昇とともに五〜六センチに育った若アユは川を上りはじめます。
 川へ入って間もないうちは川虫などの動物性のエサを食べていますが、やがて川底の石に付着している硅藻(けいそう)や藍藻(らんそう)などの植物性のエサを食べてグングンと成長します。付着藻類を食べたアユには独特のスイカのような芳香があり、このため「香魚」の別名があります。
 また、この頃になると、エサを確保するために「縄張り」を持つアユが現れ、自分の縄張りの中に他のアユが侵入して来ると、体当たりしてこれを追い払うようになります。この習性をうまく利用したのがアユの友釣りです。釣り糸の先に結んだオトリのアユに掛け鈎(ばり)をつけて、川にいるアユの縄張りの中へ泳がせてやり、これに体当たりしてくる野アユを引っかけて釣り上げるのです。

 さて再び、昨年九月に神田川で捕らえられたアユの話に戻りましょう。
 地図で測ってみると、東京湾の河口から西早稲田まではわずか十三キロ。かつては奥多摩まで百キロ近く多摩川を遡っていたアユにしてみれば大した距離ではありません。
しかし、しかしです。本当にあのドブ川の中をアユが上ることができるのでしょうか。さらには、今回採集された体長二十二センチのアユが放流魚である可能性も完全には否定できていません。
 私たちはこの答えを翌春、つまり今年の春に持ち越すことにしました。もし本当に東京湾から神田川にアユが上ってくるとすれば、 一九九三年の春に、今度は小さなアユの稚魚が捕れるはずです。もし他の川で稚アユの放流がはじまる前に神田川で採集できれば、間違いなく東京湾から遡上した天然魚であるということが証明できるのです。
 こうして迎えた三月、多摩川で調査している同僚からは「東京湾から若アユが上りはじめた」というニュースが伝わってきました。そして四月十五日、十六日の両日、満を持して神田川へ向かった私たちは、体長十センチ前後の稚アユ六尾を捕らえることができました。
 また川底の石には、アユが付着藻類を食べた跡である、笹の葉形の「はみ跡」が無数にあるのも見つけました。こうした状況から、少なくとも数百尾、多ければ千尾単位の稚アユがこの付近に生息するものと推定されたのです。

神田川で採集された稚アユ写真

神田川で採集された稚アユ、体長約十a

back

もどる