1986年伊豆大島噴火災害漁場調査報告書 [10902KB pdfファイル] 


東京都水産試験場大島分場 三村・高橋・石川・斉藤・堤・米沢・武藤・安藤・米山・有馬・河西・山川・樋口・岡村・坂本・梅田・吉沢・向山・みやこ・やしお・かもめ

 「1986年伊豆大島噴火」は1986年11月15日に第一期噴火、11月21日に第二期噴火が起こり、大量の火山噴出物が島の東側磯根漁場に降下した。沖合漁場の水温、塩分、透明度、漁況は噴火1ケ月後には異常が認められなかった。火山噴出物の降下・堆積による、磯根資源の被害状況を噴火後4年10ケ月間、延べ12回にわたって調査した。
 第一期噴火によるスコリアの堆積量は少なく被害はみられなかった。
 第二期噴火により大量のスコリアが大島東岸「トウフ」「河の沢」「ネジ」「黒崎」の海岸線3kmの範囲の海底に堆積した。
 被害漁場の水深5m付近では、噴火1ケ月後には小転石は埋没していたが、1.5 ケ月後には小転石が現れ、「河の沢」「黒崎」では1年後までに「トウフ」「ネジ」では1.5 年後までに噴火前の状態に戻っていた。「黒崎」の水深10m付近では堆積量は少なかったが、「トウフ」~「ネジ」の水深10m付近では噴火1ケ月後には大岩の間を大量のスコリアが埋め、4.5 ケ月後には堆積量が増加していた。「トウフ」「河の沢」の水深10m付近では噴火10.5ケ月後には堆積していたスコリアは殆ど流出したが、「ネジ」では4年10ケ月後になって始めて噴火前の状態に戻った。テングサ着生量は全般的に少なかったが、繁茂期である春から夏の着生量は噴火翌年に減少していないことから、噴火によるテングサへの被害は顕著でなかったと推察された。アントクメの着生量を径年比較すると、噴火翌年より2年目、3年目の着生量が多く、本種は噴火により一時的に着生量が減少したと考えられた。潮間帯の海藻類(イワノリ・ハバノリ)は海況や季節風の影響で例年より短かったが、噴火の影響は認められなかった。魚類は潜水観察により48種が確認され、噴火による魚類相の変化は見られなかった。フクトコブシは噴火1ケ月後に新しい死殻が多数見られたが、1.5 ケ月後には水深5m付近でかなりの生貝の生息を認め、浅部の被害は壊滅的なものではなかった。「トウフ」~「ネジ」の水深10m付近ではスコリアの堆積量が多く、フクトコブシは殆ど埋没・斃死したと考えられる。
 噴火翌年にはフクトコブシ稚貝の全採捕数に対する割合は1.1 %と非常に低く、このことから1986年9月から10月の産卵期に産まれた稚貝は11月の噴火により殆ど斃死したと考えられた。クロアワビは噴火4.5 ケ 月後までの調査で生貝2個体を確認したのみであったのに対し、新しい死殻13個を確認し、被害の大きいことが判明した。メガイアワビは噴火1.5 ケ月後の調査で水深10m 付近から生貝8個体(600㎡内) を確認したが、6ケ月後には同じ水深帯から1個体(330㎡内) しか発見できず、噴火後徐々に個体数を減じたものと考えられ、外敵生物による食害の可能性が示唆された。サザエ資源は噴火翌年、翌々年には全島的な増大期に当たっており、これを反映して「トウフ」「黒崎」のサザエ生息密度は平年水準を大きく上回っていた。サザエは岩下部から上部にまで生息し、岩の中部から上部に生息していた個体は生き残ったが、岩下部に生息していた成貝・稚貝、転石下の稚貝はスコリアに埋没し斃死したと考えられる。「河の沢」「ネジ」では他の地点よりサザエ生息密度は低かったが、主要因は、地域的な稚貝発生量低下と考えられた。ヘソアキクボガイの生息密度は噴火6ケ月後に7.4 個体 /m2と普通の水準であったため、噴火による被害は限定的であったと思われた。バテイラの生息密度は火砕物の堆積しなかった地区より若干低いが、本種は岩の上部から側部に生息するため、被害は少なかったと考えられた。イセエビの住み場所は多くが埋没していたが、イセエビには移動力があること、噴火4.5 ケ月後の調査で約30分間に15尾の生息を確認したことから、噴火の影響は少なかったと推定された。

調査研究報告 209 1996年2月