東京の都心を西から東に流れる神田川の水源は武蔵野市の井ノ頭池です。川は杉並、新宿、豊島、文京の各区内を流下し、台東区秋葉原の電気店街で隅田川に合流します。そしてこの間、川の両岸からは大きなマゴイやヒゴイの姿を眺めることができます。これらのコイ、実は1970~80年代に私たちが放流したものなのです。
 1950年代後半から60年代の高度経済成長期には河川の汚濁が進み、神田川は全国ワースト2のドブ川で、文字どおり死の川でした。しかし、1970年の公害国会あたりを境に少しずつ水質改善が進み、「都市の川に魚影を取り戻そう」という要望が出てきました。そこで、当時葛飾区の水元公園にあった水産試験場に声がかかり、人工ふ化したコイの稚魚が放流されたのです。コイは寿命が長く、数十年も生きます。ですから、当時の放流魚が川で育ち、今も泳いでいるのです。
  五月は鯉のぼりの季節であるとともにコイの産卵期でもあります。川や池のコイは、早朝の岸辺に集まり、水中に生えるアシなどの水草に卵を産み付けます。こうした水草の茂みは、産卵場になるとともに、ふ化した仔魚の隠れ場となって、大型魚などの食害から守ってくれるのです。

五月の空を泳ぐ鯉のぼり
  ところが、都市開発の進んだ神田川周辺では、地面の舗装化などによって、雨水の地中への浸透が妨げられています。この結果、雨が降ると一気に河川水量が増えて洪水に見舞われます。そのため、洪水を早く海へ流してしまおうとして、両岸と川底をコンクリート張りにしてしまいました。
 こうした川では、もちろん岸辺に水草が生えることはできません。ですから、神田川では、多くのコイが仕方なく底石に卵を産み付けています。コイの卵は、産卵から約1週間でふ化します。神田川でも6月頃にはメダカくらいのコイの稚魚を多数見ることができます。しかし夏を過ぎると、この稚魚はもう泳いでいません。隠れ場がないため、梅雨時の豪雨などで海に流され死んでしまうのでしょう。
 今後、川の魚を増やしていくためには、水質の改善とともに、岸辺に水草の茂るような川づくりが大切な課題となっているのです。

大切な岸辺の水草群落