第4巻第3号(通算32号) 東京都小笠原水産センター
2002年7月5日発行

巨大に成長する小笠原のモクズガニ

 ザトウクジラやアオウミガメが出産・産卵のために広大な海を回遊し、この小笠原諸島海域へ帰ってくることはよく知られていますが、島の中にも川から海へと産卵のための大移動を行う生物がいます。春先の夜間、道路を歩いている姿を見た方もいるのではないでしょうか。その生物とはモクズガニです。名前の由来でもあるハサミに生えたふさふさした毛が特徴的なカニです。
 モクズガニは北海道から小笠原諸島に至る日本全域、およびサハリンから香港一帯が分布域で、通常は河川の上流部から下流部の淡水域で水中生活を送っています。食性は雑食でアオミドロなどの藻類が主食、たまに出会う動物の死骸はごちそうと言うところでしょうか。実際に水槽で飼育の際、魚肉ばかり与えるとある時食べなくなり、死んでしまうそうです。生態面では成熟した個体が産卵期になると汽水域や海域へ移動し、交尾・産卵する「通し回遊」*1を行います。父島では主に境浦や小港、巽湾に注ぐ河川に生息しており、春から初夏にかけて、産卵のため河口に集合する様子を観察することができます。小笠原のモクズガニの特徴はなんと言っても「巨大」に成長するということです。今シーズン、小港を調査したところ成熟した雄雌の平均甲幅(甲らの幅)は雄が93mm、雌が84mmでした。九州地方(鹿児島)の成熟雄の甲幅は30mmから80mmですから、九州地方の最大型以上が父島の平均型となります。小港では3月初旬から成熟した個体が河口近くの海岸部へ集まりはじめ、4月中旬にはほとんどの雌が抱卵(腹に卵を抱えること)していました。九州地方のモクズガニは産卵期間中に3回まで抱卵しますが、水槽で飼育した小港の個体も約2週間の間隔で3回抱卵しました。また、モクズガニは産卵期が終了するとサケと同じように力つきて死んでしまいます。小港でも6月に交尾・産卵を終え、次の世代へと命をつないだモクズガニの死骸が確認されました。
 小笠原のモクズガニがなぜ巨大に成長するのか、また、川での成長にどのくらいの期間を要するのか今後の研究の課題ですが、いつまでも変わることなく自然の不思議な営みをつないでいってもらいたいものです。ふ化したモクズガニは約1ヶ月間の浮遊生活を経て稚ガニに成長し、再び川を遡上していくことでしょう。


通し回遊*1:ふ化、成長、繁殖といった生活史のうち、ある段階で塩分濃度の差が大きい淡水域と海域を行き来すること。モクズガニの場合は淡水域で成長し、成熟した個体が産卵期になると汽水域や海域へ移動し、交尾・産卵を行い、ふ化後、稚ガニにまで成長したら再び淡水域へと戻る「降下回遊」である。

参考文献:小林 哲&松浦修平(1991)鹿児島県神之川におけるモクズガニの流程分布.日本水産学会誌57(6),1029から1034


産卵のために海岸におりてきたモクズガニ

産卵のため海岸におりてきたモクズガニ


モクズガニ(測定の様子)

モクズガニ(測定の様子)