海洋島発刊60号を迎えて、小笠原40年の漁業小史

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  明けまして おめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。
水産センターでは、研究成果・海洋情報を迅速に皆様にご提供するために、昭和49年10月に本紙「海洋島」の前身である「小笠原の水産」の発行を開始致しました。当時は印刷事情が悪く、手書きで原稿を作成し、ガリ版で刷り上げていました。その後IT化が進む中、パソコン・カラープリンターが導入され、1999年8月に「海洋島」第一号が発行されました。
それから10年、発行部数は60号に達し150名近くの方々にお配りすることが出来るようになりました。研究報告とは異なり、タイムリーな情報をより分かりやすく、ビジュアルに、読み手の視点にたった編集を心がけており、今では、多くの皆様に喜ばれるようになりました。
さて、「小笠原の水産」発行より数えて30余年、これまでの記事を通読致しますと感慨深いものがございます。昭和43年6月、小笠原諸島が日本に返還され、強制疎開されていた漁業者の方々も少しずつ島に戻って参りました。当時は米軍統治に伴う禁漁効果もあり、島を代表するハマダイ(オナガ)、アカハタ(アカバ)等面白いように釣れた時代でした。しかし、漁船の増加・大型化により資源状況は徐々に低下し、水産センターには新たな取り組みが求められるようになりました。
昭和55年からは水産庁の委託を受け、南方海域の海洋特性を生かした種苗生産の試験をスタートしました。試行錯誤の末、昭和59年に日本で始めてとなるシマアジの自然採卵に成功して以来、アカハタ、カンパチ生産技術を確立し、東京都で始めてとなる海面養殖がここ父島で誕生しました。

写真1 マリンブルーの二見湾

写真1 マリンブルーの二見湾

 また、新しい技術の導入にも取り組みました。平成6年当時、沖縄で盛んに行われていたソデイカの漁具を導入し、実証試験を繰り返している中、メカジキの漁獲が確認され、漁業者と協働で漁具の改良を進めた結果、「小笠原式深海たて縄漁業」が誕生しました。現在、父・母島の主要漁業種になり、総水揚げの7割に達するほどに成長しました。

写真2 水揚げされたメカジキ(母島

写真2 水揚げされたメカジキ(母島

  現在、小笠原の漁業は活気に満ちあふれています。しかし、依然として日本の漁業を巡る環境は厳しく、我々漁業を支援する研究機関としましては、常に現状を正確に分析し、地域のニーズをくみ取り、迅速に成果を普及定着させていく使命があると考えております。あわせて、小笠原の持つ類い希な海洋環境は、依然、未知の分野が多く、今後一層他の研究機関とも連携も強化しながら、小笠原の魅力を発掘し、島外へ積極的にPRを図っていきたいと考えております。
最後になりましたが、皆様のご健勝と航海の安全、大漁を祈念致しまして、「海洋島」60号発行のご挨拶とさせていただきます。
                               水産センター所長 青木雄二

写真3 調査指導船興洋

写真3 興洋、年間180日の調査航海を予定