標本室に60年間眠っていたシラウオの標本

 当センターはこの春、竹芝にあった東京都公文書館から日の出桟橋水上バス発着場に隣接する東京都東京港湾管理事務所の施設内に移転しました。その際、旧標本室に保管されたホコリを被った古い箱の中から、他の標本瓶に混じって琥珀色の水溶液に浸されたガラス製の標本瓶がみつかり、細長い華奢な魚が現れました。幸い、紫外線などの影響を受けなかったため、頭部先端下顎部や腹部体側の黒色素が退色せずに残っており、紛れもなくシラウオ科のシラウオSalangidae microdonと分類できました。そのシラウオがぎっしりと詰まった標本瓶を覗くと、白いラベルがかすかにみえ、1952年(昭和27年)11月28日と記載されていました。実に60年間も標本瓶に眠っていたことになります。

 本種は、河口沿岸域や塩分の影響のある河川下流で冬春期に漁獲され、徳川家康の時代から幕府献納の魚とされ、アユとともに幕府が管理した魚種でした。1年魚であるため、江戸時代に乱獲で減少したこともあったようです。「東京と内湾漁業興亡史」(昭和46年5月発刊)のシラウオ漁獲高によれば、記録がある明治32年以降では昭和6年の35,060貫(約131トン)をピークに、昭和20年後半から激減、昭和32年の55貫(0.21トン)を最後に統計上から記録はなくなりました。その後、昭和39には隅田川の夏期の溶存酸素量が0(ゼロ)になるなど、水質がさらに悪化していることから、東京オリンピックがあった昭和39年以前に、既に絶滅したものと考えられます。なお、類似種のイシカワシラウオSalangidae ishikawaeは葛西海浜公園の人工干潟で稀に記録されることがあります

写真1 写真2

 1952年11月28日に固定されたシラウオ    シラウオの特徴を現す吻端の黒色素

 注;平成24年3月の水質調査は、都合により実施できませんでした。