西村・仲村

 三宅島のテングサ漁業の特性と操業の実態の調査を行った。1950~1968年の水場傾向は、7年周期で3つの山がみられ、それぞれ二次伽物線式で表わすことができる。
 水揚量は島の東側(坪田・神着)と西側(伊豆~阿古)に分けると東側が極めて多い。5月の水揚量、寄草の量とその年の水揚量との相関係数はそれぞれ+0.68、+0.79であった。
 黒潮の接岸距離とその年の水揚量とはl~4月の黒潮が前年より近づいた年の水場は前年より多い傾向がみられた。操業状況調査の結果、坪田漁協の品目別水場の季節的な変動は、上草は5月下旬、7月中旬、8月下旬に山があるが5月以降漸減し、下草は6~8月、平草は7~8月に山がみえる。
 潜水船1954年32隻を最高に近年は20隻前後が操業している。1隻当りの水場金額は1966年、水揚量(1日当)は1965年をピークに減少している。1隻1日当り水揚量の減少傾向をCt=at-bで表わすと、log aとその年の水揚量とは正の相関関係がある。
 素潜りでは、単位当り漁獲量はC(t)=322.28-5.417K(t)の-次式で減少し、30kgを切ると終漁となる。潜水船では291.276-0.536K(t)の関係が5~6月にかけて成立する。以後は180kgを上下しつつ終漁に向かう。

研究要報84(1970.3)

84.pdf [5380KB pdfファイル]